阪神大震災からもう28年、あのころB2Cは西宮市の夙川と苦楽園にありました。まだ若くてどこか怖いもの知らずだった僕はあっという間に2店舗に拡大して経営していたのです。
まさかの大震災、街は瓦礫と化しました。
大渋滞の中、大阪のホームセンターを駆けずり回りポリタンクの買い占め、ダイエーを駆けずり回り、湯沸かしポットを買い占めました。
まさかの大震災、街は瓦礫と化しました。
大渋滞の中、大阪のホームセンターを駆けずり回りポリタンクの買い占め、ダイエーを駆けずり回り、湯沸かしポットを買い占めました。
僕は水の出なくなった夙川店の店準備をしていたのです。
震災後たった4日、スタッフもかき集めて店を片付け、なりふり構わず再開したのです。
汲んできた水をバケツに入れ、ポットのお湯を混ぜて適温にし、電気ポンプで吸い上げてジョロの口でシャワーにしてシャンプーに使いました。
アクティブだったというより、行動力があったというより、震災が受け入れられなかったので、「受け入れないことにした」、と言った方が間違いないと思います。
無理やりに今まで通りに「美容室で人の髪を切って生計を立てる」事に徹したわけです。
それから時が流れ倍くらいの年齢になった僕は、まだ必死に美容師をしています。
震災の時まだ生まれてもいなかったサオリを相棒にして、必死に働く毎日、
仕事はすべて全力投球、結果に不満を残してしまったときはしっかり落ち込んだりもします。
写真は左からサオリ、先週ご来店だった台湾人のお客様、僕です。
大好きだった台湾にもなかなか行けなくなり、久しぶりに片言の中国語で会話ができて楽しかったです。
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